息があうこと、 ヨガをすること
アシュタンガヨガを習い始めてから、ずっと考えていたことのひとつに、「ヨガってやっぱり、英語ができないとだめってことなの?」ということです。
わたしは英語が話せなくて、聞き取れなくて、もちろん英語で考えることも出来なくて、それでも自分の身体のことを聞くのに、英語も日本語も関係ないんだ、と思ってきました。
10年たってみて、アシュタンガとの最初の出会いが、日本語でコミュニケーションしてくれるケン・ハラクマだったことはかなり重要なことだったと改めて思うのです。ケンさんはポイントごとに日本語でことこまかに指導をしながら、一方ではヨガのポーズ(asana)とヴィンヤサの流れ、カウントは英語とサンスクリット語で続けていきます。
繰り返されるクラスの中で、ケンさんが教えてくれた指導の極意があります。
「ヨガの指導で重要なのは、話さないこと 触らないこと」
そんなこと言ったって、それは無理でしょう!と思いながら、asanaとvinnyasaとカウント、ケンさんから受け取り、また私の生徒さんに受け渡して、今ようやくよどみなくクラスガ続けられるようになって、すらすらと流れれば流れるほど、指導の中心はやっぱり言葉に頼っているというのが、これまでのわたしです。
今までわたしがしてきたのは、生徒さんの身体を観ること、観察すること、これに尽きました。いや、それだけしかできなかったのです。ある時から、いろいろなことが見え始め、これまでの経験とあわせていろいろな体系があることにも気づき、面白くて仕方なくなりました。気づいたことは、当然のように、日本語になって言葉になり、生徒さんに伝えられます。わたしが気づいたとおりに、ここが本当にこうなってる?と確認せずにはいられないので、今度は身体にも触れます。そうやって、それが当たり前になってこの10年近く、アシュタンガを教えてきました。これまでのわたしは日本語(あるいは言語)にあわせてしか、ヨガを見ていなかったように思えるのです。
今週のことです。ケンさんが伝えてくれたキーワードに初めて気がつきました。
「ヨガの指導で重要なのは、話さないこと 触らないこと」
いつものように呼吸に考えが及んだ時に、見えなかったところが霧が晴れるように見えてきたのです。
息があう。呼吸と動きがあう。
教える私と 教わる生徒さんが ひとつになる。
それこそが 話さないで 触らないで ヨガを指導すること??
生徒さんを見ているのだけども、話さない 触らない。
90分のクラスの間、わたしはずっと、生徒さんと一緒に呼吸をして、asanaの名前とカウントを取り続けていました。
クラスが終わり、呼吸に対してのわたしの想いを伝えると、
「(手で触れ 言葉に出して伝えるのも)(呼吸を見るのも)どちらもいいのよ」
「途中から 呼吸が深くなったように感じた」という言葉をいただきました。
ヨガとともに成熟した生徒さんからいただいた言葉に感激しました。
だいぶ前のことになりますが、外国人の生徒さんにヨガを教えた時、「No、communication!」と言われて、悩んだことがあります。
それは「もっと しっかり わたしを見て!」という、わたしへの教えだったのだと今なら、そう受け止めることが出来ます。
「教えは 学びへの最高の道」
今年も9月から始まった教師養成も11月で終了しますが、まだまだ私自身 未熟な部分ばかりです。これからも「教えつつ 学び」「学びつつ 教え」て、これまで先輩や先生方から教えていただいた大事なことを伝えていきたいと思います。
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コメント
ヨガも奥深い世界なんですね。参考になります。
投稿: 吉沢@外国語 | 2012年10月28日 (日) 22時10分